江戸→東京への移り変わり

オリジナル地図作成を行いながら、江戸→東京への移り変わりに思いを馳せています。江戸時代の賑わいは、現代の東京にどのような投影を行っているのでしょうか?現代に残る江戸時代の都市構造を追いながら、江戸から東京に移り変わる街並みの物語を想像し描いてみたいと思います。東京駅の丸の内口を降り立つと、目の前には、皇居の広大な敷地が広がりをみせています。かつては、江戸城であったその場所は、江戸時代の中心的な役割を果たす重要な場所でありました。現在にもその面影は残りますが、江戸城を中心として、同心円状の都市の構造が作られ、その周囲に交通網が整備されています。同心上に交通網が伸び、郊外へと広がりを見せる中に、上流武士家、下級武士家、町人家、住宅地、野山などと、人々の住み分けが、行われるようになりました。東京駅周辺で、1本道を間違えると、とんでもない方向へ進んでしまい、未知に迷ってしまうという人が多いようなのですが、これは皇居を中心に、周囲の交通網が碁盤の目のように張り巡らせられている訳ではなく、同心上に伸びている事が原因であります。近代化東京都市の地図作成を行いながら、山手線や高速道路、環状線などの流れを追ってみると、全ては皇居周辺から放射線状に、交通網が伸び、その流れに沿って都市開発が行われたような軌跡が見え隠れしています。明治維新の際、大久保利通は、「大阪遷都」を打ち出し、日本の首都の移動も考えられていたようですが、その構想は果たされませんでした。