地図と東京の田園風景

地図を見ると、「低地」と「大地」から作られる地形によって、江戸の街が育まれた事が、みえてきました。地図作成の時には凹凸のある地形なども分かるようにすることが大切なようです。

凹凸のある地形が上水道を設置する為に利用される事が、江戸の街にとって重要な事であったそうです。

このように後に地図を見た時に当時の情報が分かるようにするためにも細部までこだわる必要性があるようです。

各上水は下記にご紹介します。

●神田上水1(1596~1615)慶長年間
●玉川上水(1654)承応3年
●本所上水(1659)万治2年
●青山上水(1660)万治3年
●三田上水(1664年)寛文4年
●千川上水(1696)元録9年

上記の中でも、「玉川上水」は、多摩・武蔵野の関東ローム層に、集落の発展をもたらし、水の富が、のちに多摩・武蔵野の関東ローム層に新田開発を促したのです。参勤交代制度により、爆発的な人口の増加がみられた江戸にとっては、水不足の他に、食料の調達が必要であったが、「玉川上水」によって、育まれた多摩・武蔵野の関東ローム層の新田開発によって、江戸の食糧供給治として新たに「田園」が誕生したとの事なのです。

「水の都」とは、水無しには、大都市は生まれないという表現であるのかもしれません。また田園風景が、大都市の発展にとって必要不可欠なものである事は、言うまでもありません。