地図から見る防水対策

地図を見ると、豊富な水と、その恵まれた地形の元に、江戸の街が大都市へと変貌していく為の土台を追うことができます。江戸の街の暮らしに欠かす事のできない「水」が、様々な恩恵をもたらしてくれている事が判明しましたが、水路の繁栄の為には、地形の助けが必要であることも重要であります。世界的に「水の都」としてうたわれているのが「ヴェネチィア」「アムステルダム」「蘇州」などですが、これらの著名な都市の地形は、おおよそ平坦であり、山の手地図作成でみられるような、凸凹な地形は、江戸独特の地形であると言えるようです。高低差の激しい江戸の地形を利用した上水道などの設置は、水の恵みとともに、水災害のリスクを生み出すことになったのですが、江戸の人々は、そこに知恵を活かし、水と共生しながら防水する活路を見出しています。江戸城を中心に螺旋状につくられた江戸の都市に、1620年(元和6年)徳川家は、「内濠」「外濠」を整備する為に「平川」の整備に及んだのでありました。その他、防水を意図した土手を作り、土手には「柳」が植えられました。隅田川のじょうりゅうには、「堤防」が作られ、向島には、「墨堤」が完成しました。このような防水対策への意欲が、江戸の街が水公害にみまわれる危機を減らしたと考えられています。現代の東京都内の河川付近に、桜の名所が多いことは、8代将軍・吉宗の時代に、強固たる堤防作りを完成させる為に、堤防に桜を植え、同時に花見の名所として、人々の心を癒す風景となったようです。現代を生きる私達が、春の到来を心待ちにして、桜を待ちわびるのと同じように江戸の人々も、春の季節を待ちわびたのでしょうか?